ワークの曲 Pua Mana (プアマナ)
2008年9月24日
今日は、Pua Mana(プアマナ)について
マプアナ先生からのメッセージお伝えします。
(私=マプアナ先生です)
プアマナ(Pua Mana)は、アンティ・マイキのプアマナを
ベースに私が新たに振り付けたバージョンです。
以前、ケイキフラコンペティションに出場した際、
この曲を書いたアンティ・アームガード・ファーデン・
アルリに歌ってもらったことがあるのですが、
彼女は私の振り付けをとても気に入ってくれました。
その頃は私の長女のカヒキナもまだケイキで、
ダンサーの一員としてステージにあがりました。
アンティ・アームガードは、私にクムフラとして
フラを教えるように強く勧めてくれた3人の恩人の
うちの一人で、だからこそ、
この曲もまた私にとって特別な作品です。
初めてフラを習う人が教わる曲と、
色々な方に聞きます。
皆さんがご存じのこの名曲を、
作曲者本人と親交の深かった、
マプアナ・デ・シルバが歌の背景やカオナも含めて
しっかりレクチャーしながら教えてくれる。
って結構凄くないですか?
自分が習っていても、ちょっと興奮しちゃいます。
「フラって、その土地に行き、その場所を感じて
踊るものだから、マプアナ先生のように、
色々な人とつながりがあるっていうのは
、クムフラとしてその1つ1つが大きな財産だと思う。」と、
友達が申しておりました。
私も、マプアナ先生からフラを習っていると、
伝統を感じます。本当に習えて幸せです。
少しプアマナについて、お話しますね。
少しプアマナについて、お話しますね。
アームガード・ファーデン・アルリ(
Irmgard Farden Aluli。1911-2001)マウイの有名な
音楽一家の出身で、生涯に200曲以上の曲を残し、
80代半ばまでミュージシャンとして活動。
「プアマナ」は1935年頃、20代の時に書かれた作品。
曲中に「私の家」として出てくるのは、
マウイ島ラハイナのフロント・ストリートにあった両親の家。
周辺の土地はもともとカラーカウア王の
所有していたものだったが、死後カピオラニ女王が
相続し、その後アルリの父に売却され、
一家の所有となった。
プアマナは、カラーカウア王の母の時代から、
その土地につけられていた名前で、アルリの父は
その名前を気に入り、そのまま引き継いで
家の愛称として使っていた。
プアマナの家は、1915年に建てられた2階建ての
大きな家で、アームガードが生まれ育ち、多くの家族や
友人に囲まれて育った思い出深い場所。
曲が書かれた当時、アームガードは仕事のために
家族と離れてモロカイ島に住んでおり、
久しぶりに故郷のプアマナに戻った際、
自宅のピアノで作った作品といわれている。
この家は両親の死後売却され、
"プアマナ"のあった場所はコンドミニアムに
なっているが、歌に出てきたココナツの木
(兄弟の象徴)は今も現存し、
ファーデン家が世話をしているという
(ファーデン家の12人の子供たちは
それぞれ1本ずつ両親からココナツの苗を与えられ、
自分で植えて特別に世話をするよう言われていた)。
プアマナというハワイ語は幾通りにも意味が
解釈できるが、ファーデン家では
「家族の絆を深める特別な家」の意味を込めて
名前を使っていた。
(出典:The Beaches of Maui County/John R. K. Clark他。)
12人の子供達は、他の資料では11人又は13人と
言われています。
写真は2007年ミスアロハフラ3位のカウイと私の友達です。
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